ご挨拶

和歌山における
リウマチ・膠原病診療の拠点をめざして

はじめに

平成27年10月に和歌山県立医科大学医学部 リウマチ・膠原病科学講座が新設され、同月より附属病院 リウマチ・膠原病科として診療を開始しました。
また平成28年5月から、リウマチ・膠原病センター(外来)がオープンしています。なお平成28年1月より、リウマチ・膠原病科の病棟も5床から開始となり、令和3年7月現在で10床となっています。私は同講座の教授として平成27年10月に着任し、現在和歌山県立医科大学附属病院リウマチ・膠原病センター長を兼任させていただいています。

和歌山におけるリウマチ・膠原病診療の拠点をめざして

私とリウマチ・膠原病の出会い

私は岐阜市の生まれです。公立高校を卒業し、1年間名古屋での浪人生活の後、慶應義塾大学医学部に入学させていただくことができました。その時代(昭和の終わり頃)、慶應義塾大学が膠原病において全国的にも有数の診療・研究施設であったこと、また「抗核抗体」検査に興味を持っていたのですが、その研究が積極的におこなわれていたことなどから、卒業後すぐに大学院に入学しました。

幸い、リウマチ科で受け入れてもらい、本当に優秀な先輩方に恵まれました。ほとんど毎晩おそくまで働いて、多くの先輩方から厳しい教育をいただいたことを覚えています。先輩の外来に補助としてついて患者さんの診察の仕方を学ぶのですが、外来にきたリウマチ患者さんがわれわれの先輩の先生に「先生、毎日関節が痛くてつらいです」を訴えると、その先輩医師はわれわれの方を指さして「この人たちの方がもっとつらい思いをしているんだ」とわけのわからないことを言われていたことも思い出します。患者さんたちにとっては全く意味のない発言でありますが、そのころの先輩医師の考えは「若い医師は(リウマチ患者さんより?)つらい思いをして学ぶもの」ということであったのかもしれません。

「初心忘るべからず」という言葉がありますが、これは「はじめに抱いていた物事を成し遂げようとする強い気持ち」のみでなく「修行を始めたとき何もできなかった惨めな気持ち」を忘れないようにすべきであるという意味が含まれていると聞いています。

私とリウマチ・膠原病の出会い

昔のリウマチ・膠原病内科とは

そのころ(平成元年頃)は全国的に、リウマチ内科はすなわち膠原病内科であったと思います。関節リウマチ(以下RAと略します)は治療薬がないけれども、内臓を傷害することは少ない。それに比べて全身性エリテマトーデスや多発性筋炎/皮膚筋炎は重症な神経・肺・腎臓・血液合併症があり若くして命を落としてしまうこともあるので、そちらを克服するのがわれわれの使命であると思っていた先生が、私も含めてほとんどであったと記憶しています。

私も全身性エリテマトーデスやシェーグレン症候群における抗核抗体、成人発症スチル病の臨床研究を行い学位を頂きました。1995年には、アメリカのYale大学(リウマチ内科)に留学し、ここでも抗核抗体や全身性エリテマトーデスのT細胞に関する研究をさせてもらいました。留学は2年8ヶ月ぐらいでしたが、ほとんど毎日マウスの実験にあけくれていましたので、この時期は人の採血よりもマウスの採血の方が得意であったように記憶しています。海外の生活はかならずしも楽しいことばかりではなかったのですが、アメリカ留学はいろんな意味で自分の人生のために役に立ったと思っています。

昔のリウマチ・膠原病内科とは

驚くべき変化

私が慶應のリウマチ研究室に帰国後(1998年)、メトトレキサートがRAの治療薬として使用できるようになり、また21世紀にはいってからは初めての生物学的製剤であるインフリキシマブ(レミケード®、TNF阻害薬)が導入されました。はじめは多くの先生が、TNF-αのみをおさえただけでよくなるほどRAは簡単な病気ではないだろう、と思っていたのですが、その劇的な治療効果に一様に驚いたわけです。

私は2001年から三森教授が主宰されることになった京都大学 免疫・膠原病内科にうつり、そこで膠原病の抗核抗体に関する研究を継続しました。また2011年からは京都大学内に新設された「京都大学リウマチ性疾患制御学講座(京都大学医学部附属病院リウマチセンター)」で、4年半ほど、RAを中心に診療・研究を行って参りました。

驚くべき変化

RAや膠原病は専門性の高い病気

私が和歌山にきてから受診された若い患者さんで、近くの先生から「リウマチなんだから仕事なんかしないでしっかり静養しなさい」と言われた方がおられます。しかし最近のリウマチ診療の目標はむしろ「社会生活がきちんとおくれるように治療する」、すなわち今やっている仕事(育児や家事なども含まれます)を引き続き自身が納得いくように継続してできることを目標に治療することが重要で、リウマチになったからといって仕事を休むべきでないということになります。

もちろん昔はこのような指導が正しかったし、現在でも考え方は状況に異なり、強力な治療薬よりも安全性を考慮した生活指導を考慮すべきケースはありますが、原則として、運悪くリウマチになってもその患者さんの思い通りに(今まで通りに)日常生活がおくれることをわれわれ専門医は治療目標としています。これこそが、慢性疾患の治療目標として最も重要な「患者さんの生活の質(Quality of Life, QOL)の確保」です。

和歌山医大リウマチ・膠原病センターがめざすもの

生物学的製剤が使えるようになり、罹病期間のすごく長いRAの方も短い方もQOLを高めることができるようになりました。以前の診察室では、われわれから「リウマチはだいぶよくなりましたね」と言っても、患者さんは疑問を持ったままの方が多かったように思います。しかし時代が変わり、最近の生物学的製剤がよく効くと、その患者さんから「今年は家族でハワイ旅行に行くんです」とか「夏に息子のいるニューヨークに行こうと思っています」といった、むしろわれわれがびっくりするぐらい日常生活動作(Activity of Daily Living, ADL)が改善している患者さんがいることを実感しています。

もちろん、生物学的製剤はよいことばかりではありません。保険診療ですので、高価な薬剤は社会にも負担がかかります。このような薬剤は特に正しい使い方をすべきであり、専門医が中心となって万一副作用が発生してもできうる限り同じ主治医が適切に対処できる施設で使用されるのが好ましいと考えられます。また関節外症状も大きな問題です。残念ながら今まで和歌山にはこのような合併症も含めてすべてをカバーできる「リウマチ・膠原病診療の拠点施設」がありませんでした。 われわれのグループはまだ少人数ですが、今後若い先生を増やし、多くの他の専門家が同じ施設にいることを利点として、和歌山県におけるリウマチ・膠原病の「真の拠点」になれるよう努力したいと思います。

和歌山医大リウマチ・膠原病センターがめざすもの

最後に

和歌山県はいままでリウマチ・膠原病の専門医が少ないとされてきました。しかし実際には、いままでRA・膠原病患者さんのために精一杯努力され診療されてきた先生もおられます。すなわち、「和歌山医大 リウマチ・膠原病科学講座」は0からのスタートですが、和歌山のリウマチ・膠原病診療は0からのスタートではありません。この教室はそれらの先生方の要望のもと新設されたわけで、私たちはそれらの先生からのバトンを引き継いで、かつ連携することが重要であると思っています。幸い、日赤和歌山医療センターのリウマチ科の先生もほとんどが私の京大時代の後輩ですので、分け隔てなく協力しながら和歌山のリウマチ・膠原病治療を盛り上げていけると考えています。

また前述したように、私は本来「膠原病内科医」であったので、全身性エリテマトーデスや強皮症、多発性筋炎/皮膚筋炎などの難治性病態こそ、研究の中心であるという考えを持って積極的に取り組んでいきたいと思っています。今までの経験を生かすことができる場所を与えていただいた和歌山の先生方に感謝するとともに、かかるリウマチ・膠原病診療の長い歴史を含めて若い先生に教育し、将来和歌山のリウマチ・膠原病診療がすこしでもよくなるよう根気よく努力しようと思います。

平成29年3月1日
和歌山県立医科大学医学部 リウマチ・膠原病科学講座 教授
和歌山県立医科大学附属病院 リウマチ・膠原病センター長
藤井 隆夫